南アフリカ共和国 ~中間報告(現在17カ月目、残り7か月)~
どうも~ 月曜日担当のカオルです!!
今回は 第8回ブログ内共同企画
ずばり、~自分の活動の振り返り~
です。
多くの協力隊隊員は、12月から1か月間のタームホリデー(学期休み)に突入するので、現職参加(現職教員でありながら協力隊に参加)している方は残すところ3か月(1.2.3月)、私やタツ、イクトのように、仕事を辞めor新卒で参加している 人にとっては残り7か月(とは言っても、子どもと実際に接するのは実質4か月ほどです・・)となりました。
タイミングとしても、もう少しで2020年に変わりますし、いい頃合いかと・・
それぞれの隊員にとって、いわば中間報告(もしくは、最終報告に近い)ものとなるので、ぜひとも読んでみてくださいね♪
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それでは1番バッターの私から!!!
今日の内容は、
①私が来たときの現状・やってきた活動と成果
②自分がここにいる意義
③これから半年の活動に向けて
でお送りしたいと思います。
①私が来た時の現状
もうブログを長いこと読んでくださっている方はご存知かもしれませんが、私の住むGogogo村(ゴゴゴ村)は、南アの北の方、ジンバブエとの国境付近にあります・・
リンク(Google Map)
https://www.google.com/maps/place/Gogogo+Primary+School/@-24.5292428,26.7468245,6.5z/data=!4m13!1m7!3m6!1s0x1ec5e60778357eb1:0x1581c290a34860b6!2sGogogo!3b1!8m2!3d-22.7802428!4d30.330578!3m4!1s0x0:0x7f1dfd89d2654cd7!8m2!3d-22.7757289!4d30.3346494
ちなみにGoogle Mapで「Gogogo Primary School」とアルファベットで入力してもらうと、学校の写真とかも何枚か載っています^^(学校の広報を兼ねて私が載せました。)
さて、ここは所謂田舎。
イメージとしては日本の過疎集落といった感じですかね。家も多いわけではなく、家の距離も少し離れていたりします。
また山沿いにあるため、同じGogogo村でもいくつかの地域に分かれて点在しており、すべてをまとめてGogogoと呼ぶような感じです・・
家の数はそれほど多くないのですが、家1件あたりにおばあちゃん+(おじいちゃん)+子ども(成人)や孫(5~7人)がいるような状況で、大体1件につき5~10人弱くらいは人が住んでいたりします。
子だくさんな南アならではですね!
地域的に見ると開発は遅れていますが、小学校もきちんとありますし、子ども手当のようなものも出ているので、子どもが飢えている・・ というような地域ではありません。
南アの中では貧しいエリアだけど、貧しいなりに安全で、自給自足で食べていけるような仕組みがあるエリアだと言っても良いと思います。
学校に関しても基本的な備品(コピー機、印刷用紙等)はそろっており、生徒にも椅子・机が必要な数あります(ぼろいけど)。
先生も1学年1人はおり、余剰はないものの、みんながきちんと働けば、学校自体は回る計算。
続いて、私が準備しているJICA向けの中間報告用の資料から、来た時の現状→その後 という形式で、紹介させていただきます。
村の実態→改善したこと or 改善できていないこと
①英語が話せる人が少ない→自分が現地語で日常会話は話せるようになった
②外で働ける若者は街に出ており、村には子どもと老人がメイン→子どもについて話す時は、親に電話(英語が話せる親、親せきのみ)。
③老人、又は村に住んでいる親の学力は低く、保護者の学力の低さが子どもの学力の低さへも連鎖している→現地語で子どもの現状を伝える(家庭訪問)。電話での現地語だと私自身の能力的に厳しい事でも、面対面だと理解してくれたりする。
④交通の便が悪く、地域の村ともそれほど多く交流はない→なにか交流を行おうとすると、交通費と時間がかかる
子どもの実態
足し算は指を使えばできる。引き算は繰り下がりとなると、難しくてできない(8割方)。九九・わり算は、不可能。→朝学習(30分)、放課後学習(60分)、授業中のゲーム形式を取り入れて向上。
英語が話せる子がクラスで20%ほど。特に書きとなると、意味が分からない文章となることも多い→Peace corps のおかげで、彼が教えた学年は向上。
マナーが日本に比べると劣って感じる(→自分自身が外国人であるため、彼らの中で同僚教師と同じ括りに入っていない可能性は高い)→日々の指導でかなり良くなってきた。
算数だけでなく、英語力の低さがすべての科目の理解力の低下につながっている→本の寄付集めと、読書の時間の導入により、劇的ではないものの少しずつ向上はしていると感じている。
特に悪意はなく、ごみを床に捨てる→日々の指導、学校を上げてのゴミ拾い活動の導入でかなり良くなってきた。
先生の実態
半分は村の外から来る先生であり、遠くから来る先生の中には毎日遅れてくる先生もいる→非常に改善が難しい。
南ア人らしく時間にはルーズで、授業には時間通りに行かない(休み時間後)→校長の協力もあり少し改善。
時間割があるが、時間割の存在意識が薄い→かなり改善されてきた。(すべてのクラスに時間割を貼ることが効果的だった)。
先生方の教授の質は低い(先生が話すことがメインで、問題練習をさせる時間がほとんどない)→特にアプローチしておらず・・。
感想
子どもにアプローチして変えることは簡単ですが、先生方の意識を変えるのは大変難しい・・。それが私の現状です。
ですが先生方の意識の中でも、時間割に対する意識以外に、確かに変わってきたモノもあります。
例えば、教室の汚さへの意識。
低学年から高学年まで、綺麗に保たれている教室は確実に増えています。これは教室を綺麗に保とうという先生の意識&ごみ箱にきちんと捨てようという子供の意識 が合わさった、玉物だと思います^^
全部を変えることなんて出来ないので、1つでも何かを変えることが出来れば万々歳だと思ってやっていきたいです!
②自分がここにいる意義
これは大きく2つに私の場合分けられます。
1つは「子どものため」
子どものこれからのために、先生方の意識を変えたい、学校を少しでもよくしていきたい。
自分が教えられる間は、子どもの「生きる力」、その中でも「考える力」「実行する力」の2つを育ててあげたらなと思っています。
もちろんそのほかに伸ばしてほしい力、例えば「自分を表現する力」とかもあるのですが、先ずは「考えて行動を起こす力」、これに尽きます。
これさえあれば、彼らが今後どの組織・枠組みに属することになったとしても、本人に何らかのギフト(贈り物)として返ってくるものだと思っています。
最近聞いて勉強になった話がありまして、
人は誰しもその人の能力によって、所属するカテゴリーが決まってくる。そしてそのカテゴリーの中で活躍するためには、「人のためにどれだけ何かをできるか」。
これは僕の「任地の子は勉強のレベルが低く、とても学力で南アのほかの地域の子に勝てる部分はありません。将来に対する希望も持てていない子がほとんどです。そんな学校で子どもを指導していくときに、大事にすべきこと。そして子どもがその大事にすべきことに納得できるような理由は何でしょうか?」
という質問に、任地の中学校で働いている協力隊隊員さんが答えてくださった回答です。これは彼自身が日本の底辺中・高校で教鞭をとっている際に、子どもたちに意識してもらっていることだそうです。
もちろんその方も、日本と南アでは状況は違うとはおっしゃっていましたが、勉学を除いた上で子どもたちが頑張るべきこと の1つの答えは、「人のためにどれだけ頑張れるか。役に立つことを出来るか。」にあるのかもしれません。
考えるだけでもダメで、行動を起こすだけでもダメ。
礼儀とかも、「自分が〇〇をしたら、相手はどう思うんだろう?」という相手の立場から考えることも大事ですから。
とても難しいですが、この2つを同時に出来るような子に育ってほしいです。(僕は当時出来ていなかったですし、今でもミスすることは多々ありますけどね><)
まあ実際は人それぞれ考え方が違うので、「こんな風にとらえる人もいるんだ!」ということも度々おこりますが、それは後々学んでいけばよいでしょう(→自分にも向けて)。
2つ目は「自分」のため
この理由は初めてここに来た際に、私がGogogoに来た理由の多くの割合を占めていました
過去の記事でも、少しずつ触れていますが、私は自分が成長したくて海外でのボランティア活動に参加したという側面が強いです。
kyouryokutaimath.hatenablog.com
kyouryokutaimath.hatenablog.com
以前にも話したかもしれませんが、訓練所でこんなことがありました。
僕が、新卒の同期と、「どうして協力隊に行くのか」 という話になった際に、
僕は「自分の成長のために行く論」 彼は「そこに助けが必要な人がいるから行く論」
お互いの理論を熱心に語っていましたが、話は平行線上。
そんな中、社会人としてのキャリアの実績も十分あり、協力隊員としても2回目の方が、
「自分の成長のために行くだけじゃ続かないし、助けが必要な人がいるから行く というボランティアスピリットだけでも続かない。どちらも必要だよね。」
とおっしゃっていました。
当時はよくわかりませんでしたが、今、この言葉の意味がとてもよくわかります・・
自分自身の劇的な成長という点で見た時に、「今の自分はスキル面・精神面で成長していないのでは?」と悩む時期が何度も隊員活動中にありました。
基本こっちの職場はゆるゆるなので、自分から何かをしない限り、目に見えるスキルが付くという事はほとんどありません。
また精神面の成長も、環境に適応する辛さという観点で捉えたら、最初の1年で十分になれることが出来、そこからの成長は緩やかなものになって行きます。
また、助けが必要な人がいるからそこに行く
そんな甘いものじゃ現実はありません(個人的感想)。
任地の人からお金をねだられる。モノをだまし取られる。何かを盗まれる。同僚は口は達者だが、具体的に行動を起こそうとしない。
自分が一生懸命にやって何かを変えようとすると、変えて欲しくない人からの反発が起こる。
例えば、
「子どもが可哀そうだから、授業時間中は先生たちは授業をしっかりやるべし!」と言い、それを実行するための枠組みを作ったとしましょう。
しかし楽なスタイルに慣れている先生からは反発が起こり、「なんであいつは来たんだ。余計なことしやがって」、また村の人からも「子どもが勉強をするから、家で家事をしない。遅くに学校から帰ってくる。」
そうやってだんだん周囲と孤立していき、住みずらくなっていきます・・
家によっては、別に勉強に優先順位があるわけでもないのです。
このようにボランティアスピリットだけあっても、現地で嫌な思いをすることは多々あるので気持ちは続かないのです・・
今の私は「自分の成長」という点では以前ほど劇的な変化はなくなったと思います。
ですがありがたくも、ここでは私自身にご注意してくださる社会人としての先輩方に囲まれることが出来ています。
これはシニア隊員(40歳以上)が多い&男性のみ という 平均年齢の高さ&上下関係がはっきりとある 南ア協力隊ならではの、良い面でもあり、捉えようによっては悪い点でもあると思います。
もちろん、きつく注意された時は凹みますが、気が付かないまま年だけ取っていくことほど恐ろしいことはありません・・(そういう人を見る機会も増えてきました。)
それに言ってくださった方も、僕なら変わると思って、その方の時間とエネルギーを使って言ってくださっているわけですからね><
また、自分から色々とやってみようと思い、すぐに行動を起こせる身軽さはボランティアという立場ならではです!
なので「そして自分を必要としてくれる子どもたち」「自分自身の成長」
今はその2つの面で成果を感じながら活動を出来ているので、気持ちが充実しながら活動できていると思います^^。
③これから半年間の活動に向けて
残り半年となると、始めの半年 とは大きく違うことがあります。
それは自分が居なくなった後のことを、考えざるを得なくなっていること。
まだまだやりたい活動はたくさんあります。
そして子どもたちにやってあげたいこともたくさんあります。
ですが一人の子を、一人の先生がずっと教えるわけにはいきませんし、子どもの方だって先生が思うように、親が思うように育ってくれたら、誰も子育てで苦労しません。
だから常に一歩引いてその子を見てあげることが大事だなと思って来ました。
今その子が気が付かないことでも、まだ気が付くチャンスはたくさんある。
そして子どもには自分で気が付く大切さも、必要になってくるということ。
それは多くのことに対して、勉学に限らず、いろんなことに対してだと自分に対しても思います(笑)
また自分が居なくなった後、すぐではないにしろ後任の人が来るかもしれません。
その時に意識しておきたいのが、
「仕事は〇〇さんだから出来るじゃだめ。そういう仕事を後に残しておくと、残された人にとって負担にしかならないこともある。だから残しておく仕事は、〇〇さんでも出来る。××さんでもできる。という仕事であるべき。」
これは先にも紹介した、中学校で働いている協力隊員さんから言われました。
「〇〇さんだから出来たこと」と言われると確かに嬉しいですが、同じことを後任の人が求められたら確かに大きなプレッシャーになると思います。
僕は別に「僕だから出来た」という大きな仕事をしたわけではないですが、そういったことも考えて活動をこれからはしなきゃな~ とも考えさせられました。
でも子どもにとって、「僕がいる間で学んだこと、やってみたこと」 というのは大きな意味を持ってくると思うので、そういった今限りの活動も継続してやっていきたいなと思います。
私が今の時点で、先生たちの間で自分もいなくなった後も残りそうなもの・・
~確実に残りそうなもの~
「日本への関心」
~残って欲しいもの~
「教室の清掃意識」
~消えそうなモノ~
「多数。時間への意識、いろんなイベント事等含め。」
(笑)
こんな感じですが、まあ楽しくやっていきます♪
それでは! また来週♪