青年海外協力隊 算数・数学ブログ

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南アフリカ共和国 ~現地語を学ぶ必要性はあるのか~

どうもー 月曜日担当のカオルです!!

 

 

南アに住み始めて10ヶ月目に突入してきました

 

 

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アメリカンピースコーと現地の先生

 

 

今回は

 

「現地語を学ぶ必要性はあるのか」

 

について考えてみたので、思ったことを書いてみたいなと思います

 

 

①子どもの国語教育の難しさと、英語の重要性

②もし英語が話せなかったら

(1)誤解が生じる&それを解けない

(2)情報が入って来なくなる

③もし現地語が話せなかったら

④まとめ

 

 

 

①子どもの国語教育のむずかしさと、英語の重要性

 

南アに限らず、多くのアフリカの国々では、英語を公用語の1つとしている国が多いと思います

 

英語ではなく、フランス語を公用語としている国も実は多いです(コンゴマダガスカルコートジボワールカメルーンセネガル・マリ等々、まだあります)

 

これらの国では、英語やフランス語が第1外国語として、小学校で教えられています(少なくとも南アでは)

 

わかりやすく言えば、日本の中学校の英語教育が、アフリカの国々では小学校から教えられている感じですね

 

ちなみに南アには11の公用語(現地語含め)があるのですが、

 

国語としては、それぞれの現地語を学びます

 

日本の国語は、日本語ですよね

 

南アでは小学校によって、国語として習う言語は違ってきます

 

つまり11の言語を国語として教える小学校が、それぞれにあるとも言い換えられます

 

言語はある程度地方によって分かれているので、地方によって国語として習える言語も異なってきます

 

 

日本で例えるならば、

 

青森県の学校では津軽弁を国語として習うが、福岡県の学校では博多弁を国語として習うイメージです

 

そして第一外国語として日本語を習います

 

それじゃあ、仕事を求めて、青森から福岡に出てきた親の子どもはどうするの?

 

子どもは両親が津軽弁を話していても、学校では国語として博多弁を習います

 

 

これほど子どもにとってハードな状況はそうないと思ます・・

 

ましてや、1年生で転校してくるならまだしも、4年生、5年生次に転校してきた場合にはどうでしょう?

 

言語の習得がほぼほぼ不可能ですよね

 

しかし現実にそういう子どもたちがいます

 

私の知ってる限りでは、

 

彼らの多くが現地の子どもに溶け込むのが難しくなり、両言語使いこなせないため、友達が作りずらい&学校の内容も遅れてしまう

 

という状況に陥っている気がします

 

だから私の任地の親たちは、子どもを自分の祖父母に預け、街へ働きに行くのでしょう

 

もちろん親もずっと子どもと一緒にいたいのは当然ですが、そういった教育への配慮が大きい気がします・・

 

 

 

さて、公用語が11もある国で出てくるのが、英語の重要性です

 

黒人同士でもそれぞれの母語でコミュニケーションが取れない

 

それぞれの言語は微妙に似てはいますが、互換性のない言語同士がほとんどです

 

そんな状況の中でとても重要なのが

 

「英語を話せること」

 

なのです

 

英語は全員が学校教育で習うのでわかる

 

多言語を話す人がいる国で大きな意味を持つのが、英語やフランス語といった公用語だと思います

 

英語を話せれば、全員とコミュニケーションが取れる。生活に必要な情報を手に入れることが出来る

 

いろいろな現地語が入り混じる南アだからこそ、重要な英語教育です

 

逆に英語を話せるのは仕事を得るうえで「当然」の事となっています

 

高給な仕事には、英語+α が必要なのです・・

 

 

②もし英語が話せなかったら?

 

まずは、もし英語が話せないで南アに来たら何が問題になりそうか 

 

を考えてみたいと思います

 

(1)誤解が生じる&それを解けない

 

1番大きいのがコミュニケーションに難が生じることだと思います

 

買い物はなんとかなるでしょう

 

生きていくのも、自分一人で生きていける環境(スーパーが近くにある。町に住んでいる。車がある)ならなんとかなるでしょう

 

仕事も、まあ教員でしたら子ども相手なので、首になる事もないですし、なんとかなるでしょう

 

 

1番不便なことはコミュニケーションが取りにくくなることだと思います

 

例えば、

 

いつ会議があるのかわからない

 

今先生が何をしに教室を出て行ったのかがわからない

 

先生の家庭の状況が分からない

 

何について相手が話してるのかわからない

 

 

つまり、周りがわからないことだらけになります

 

周りがわからないことだらけだと、私なら、だんだん疑心暗鬼に陥って来ます

 

どうして先生は笑ってるの?

 

なんで私にだけ会議の日程を言ってくれないの?

 

なんで勝手にペンを借りるの?

 

どうして私にはあいさつしないの?

 

 

こんな感じです

 

 

また理解不足で起こりうることで、解決しえたのに取り返しのつかないことが誤解です

 

先生が私に丸付けをしたいからペンを貸してほしいと言った

 

先生は返すのを忘れて、1週間後もそのまま何も言わず使っていた

 

 

よくある学校現場の1コマです

 

もし英語が話せれば、

 

先生はペンを採点のために借りたけど、一向に返さなかったので、どうして返さなかったのか聞いたら、忘れていただけだった

 

と、どうして返さなかったのかが理解できます

 

 

でも英語を理解できてないと

 

何か理由はわからないけど、無理やり流れでペンを貸すことになった。貸すのもやだったが、一向にペンを返してくれる気配がない。それ私のペンと言ったら、先生は何か言い訳を言って、ごめんなさいも言わず返してきた。とても不快。

 

 

こんな感じになるわけです

 

 

これはまあ1例ですが、言葉を理解してないと、こうやってだんだんと人間関係に溝が生じてきます

 

 

そしてお互いに信用できなくなり、最後は喧嘩別れのような形になってしまう事もあり得ます

 

 

(2)情報が入ってこなくなる

 

英語で行う先生方の会議等についていけないと、入ってくる情報がかなり少なくなってきます

 

だれだって2度同じことを言うのは嫌ですよね

 

まだ2回目を言えば理解してくれるのならばいいですが、もっと噛み砕いて説明しなきゃいけないとなると尚更だと思います

 

彼・彼女にはどうせ言ってもわからないし、伝えるのに時間がかかるから億劫だ

 

そうなると、今度は必要な情報すら入ってこなくなる事もあります

 

また、伝えなきゃと思ってても、忘れることが人間だからありますよね

 

こっちの人はもっと忘れやすい と個人的には思ってます

 

だからこっちが相手が言っていることを常に理解してないと、個別に大事なことを伝えてくれるなんて、こちらから聞かない限りあまりありません

 

でも、日本と仕組みも違う南アの日程・ルールなんて、逆に質問しようがないですよね・・

 

 

だからたまに、「それは全体会議でも言ってなかったし、聞いてないわ!」 

 

ってなることもあります^^

 

先生からしたらあまりにも当たり前の事だったのかもしれませんが

 

 

「いつテストがあるのか」

 

「何時から会議をやるのか」

 

「保護者会がいつあるから、何時から何時までその教室は使えないのか」

 

 

こういった情報も、コミュニケーションがうまく取れていないと、自然と入って来なくなってしまいます

 

南アではどうでもいい会話の中に、大事なことが紛れていることが結構あります

 

なぜなら会議が、重要事項を話すためだけのものではなく、取り留めもなく話して言って、急に思い出したかのように大事なことを言ったり、大事なことですら会議で言わなかったりするから

 

自分で相手が言っていることを理解できていたら、要らない情報は捨てて、自分にとって必要な情報だけを選び出すことが出来ます

 

日本でも皆さんそうしていると思います

 

自分にとって要らない情報をわざわざメモしている人がいたら、相当気配りできる人でしょう

 

このように言語が理解できていないと、自分の仕事にも支障が出てきてしまう 

 

と私は思います

 

 

 

③もし現地語が話せなかったら?

 

アフリカの国には何度もお話ししているように、1つの国に多くの民族・言葉が共存しています

 

日系企業に勤めて首都で取引先と会話する、観光地に行く

 

それであれば南アでは現地語は必要ありません

 

日系企業と取引を出来るような会社の人は南アでもエリート層です

 

そういう人は英語なんてペラペラです

 

日本から海外赴任できている人が、通訳抜きで直接1対1で現場の労働者と話をする 

 

なんてことも少ないと思います

 

 

しかし、もし国際協力をするのならば話は別だと私は思います

 

各地をいろいろ周って、通訳付きで指導する

 

そういう形であれば、多くの現地語を短期間で集中的に覚えるなんてかなり厳しいですし、難しいでしょう

 

しかし協力隊(2年間)の活動のように、草の根活動をしている人は別だと思います

 

本当に現場の最前線で働くような仕事をしている人ならば、現地語を覚えるべきだと思います

 

これは誰かに言ってるようであって、実は自分に言い聞かせてます

 

 

ここで私の話を少し

 

現に私も、来た当初はかなり熱心に現地語をやってました

 

私の場合、JICAからの訓練は一切なかったので、アメリカンピースコーがオンライン上に出しているVenda語の文法書(30ページほど)を見つけて、勉強していました

 

私の場合は任地にアメリカンピースコーがいるので、現地語を学ぶ際もかなり助けてくれました

 

ちなみにアメリカンピースコーでは任国での現地語教育が2-3か月ほどあるそうです

 

JICAは規模も小さしですし、まずは英語を高いレベルにという事で、現地語教育をしない場合も多いのでしょうね

 

南アだけでの規模を比べてみるとJICAボランティア約20人に対し、アメリカンピースコーは約180人いるそう

 

もう規模が全然違う 笑

 

話を戻して、

 

当初は同僚のアメリカンピースコーに聞きながら勉強していた私ですが、現地語勉強を始めて3か月ほどで現地語へのやる気がだんだんと失われてきました

 

最初は面白かったのですが、知れば知るほど複雑になってきて、どうでもよくなってきたんですね(-_-;)

 

それに日本に帰ってVenda語が話せたとして、誰が評価してくれるのでしょう・・

 

これらの理由から、少し話せるようになったところで最近までずっと勉強してませんでした(現在10ヶ月目)

 

しかし現に、自分の語学力が向上してないと自分でもわかりますし、先生たちからしてもそうです

 

なんかそうすると「自分が上手く溶け込めてないな」

 

あら不思議! 勝手に自分で思うようになってきてしまうのです

 

現地語を学ぶ気がないと、現地のティータイム(休み時間)

 

の先生同士のおしゃべりも時間の無駄と感じてきて、宿題の採点等々をするために一緒にいないことが増えてきてしまいました・・

 

私が信頼を得ている上で、そういう行動を取るのはいいと思うんです

 

でも現地語を話せない日本人ボランティアが、自分たちと一緒にティータイムしなくなったら、先生はどう思うでしょうか

 

私たちが現地語で話してるから嫌になったのかな?

 

と思うと、私は思います

 

お互いに遠慮して壁があると、いろんなことが言いにくくなりますよね

 

それがまた、仕事にも徐々に影響が出てくるんです・・

 

これマジで

 

「誰かに何かを言いにくい」ってなると、その組織または、個人の効率が落ちてくることを、南アで感じました

 

つまりボランティアは

 

「何でも聞くし、何でも聞いて!」みたいなオープンスタンスでいた方がいいと思うんですよね

 

そしたら向こうも質問してくれるから

 

相手から興味を持ってもらうためには、こっちから相手に興味をもたなきゃ

 

そういった、お互いに言える・認め合える雰囲気づくりに、現地語は大きく関わってくる

 

と私は強く思います

 

だから反対に、

 

「俺には現地語必要ないからやらない」

 

みたいなスタンスを内心思ってるならまだしも、態度に出ちゃっている人は良くないとも思います

 

それは相手の文化に対して、「興味ないねん!」

 

と、面と向かって言ってるのと同じ事ですから

 

 日本人だったらそれでも、自分の向上心のために相手に技術的なことを質問するかもしれませんが、

 

日本語を学ぼうとしている外人の方がどう考えても好印象で、助けてあげたくなってきますよね

 

逆に2年間もいて、現地語の挨拶も話せない

 

果たして良い印象をうけるでしょうか・・

 

 

現地語を話せると良い理由は、受け入れてもらいやすくなるのと同時にもう一つ!

 

 

コミュニケーションが取れると情報を手に入れられる

 

 

英語で話したことと全く同じ理由です

 

現地の人は現地語でやり取りをしています

 

会議が現地語で行われているよ という人も多いと思います

 

まあ正直、現地語の会議についていけるレベルに2年間でなったら、めちゃくちゃすごいと思いますが、ほとんどそういう人はいないと思うので、会議レベルの話はパスです

 

しかし日常会話ですら話せる、聞ける というのは大事です

 

なぜなら買い物に行ったとき、バスを使う時

 

現地語を話せれば、すぐに向こうが信頼してくれます

 

誰かがよからぬたくらみをしている時も、現地語が理解できれば、何を話しているかわかりますよね

 

同僚との会話でも現地語が話せるようになってくると、より先生の内部の事情や、どんなことに関心が今あるのか と等々わかって、アプローチしやすくなります

 

つまり、メリットとして

 

信頼を得られる=必要な情報が集まりやすくなってくる。より自分自身が安全になる

 

ということです

 

反対に全く理解できないような状況だと

 

信頼を得にくい=なにをやっても反対にあいやすくなる。英語の情報ですら集まりにくくなってくる

 

と私は思います

 

かの有名な武田信玄も言っていました

 

人は城、人は石垣、人は堀・・・

 

本当に自分を守ってくれるものは、強固なバーグラーバー(ドアや窓からの侵入を防ぐ鉄格子のようなもの。安全対策として、協力隊の家にはほぼ必ず設置される)なのではなく、現地の人からの信頼だと思います

 

 

さて、そろそろまとめに入りましょう

 

 

まとめ

 

 

話がいきなりとんでもない方向へ飛びますが・・

 

 

私が南米に言っていた頃であった、タカさん(南米を1人でバイクでぶらぶら旅している人で、コロンビア・エクアドルトいったかなり危ない国もぶらついていた人です)は、こう言っていました

 

 

 

結局周りが危ないって言うけど、言葉が分かってないから危ないのであって、言葉が話せたらアミーゴ(友達)にすぐになるよ!

 

 

 

ちなみにタカさんは、現地人の女の子とチャットして現地語を学び、宿でも個人的に参考書を読んで勉強していました(笑)

 

現地語覚えるには、現地人の彼氏彼女をつくるといいって言いますしね!!

 

 さて、結論

 

 

言葉を覚えて、アミーゴになってこそ、国際協力もはかどる!

 

 

 

 

それではまた来週♪